制作について 2012/11/27

 

私は中学生の頃に岩絵具や墨といった画材に触れ、日本画を志しました。

日本画とは日本の美術、表現、文化、日本人の心性など、様々な角度から日本について分析し、表現する絵画です。

私はそのような視点から、自らの日々感じていることを踏まえて日本画を制作しております。

古くから、日本の文化は外来の文化を否定するのではなく吸収・融合し、更新することによってハイブリッドな何かを生み出してきました。茶の文化などはその典型といえるでしょう。

 

岡本太郎は、日本の美術に対して独自のものがないということを嘆き、縄文式土器にまで行きつきましたが、私はそもそも日本人が、「日本」と言う概念もない時代に大陸から渡ってきた人々なのですから、まるで天から降ってきたようなオリジナリティが、日本にないのは当たり前で、その独自性が弱いということよりも、長い年月の中で培ってきた外来の文化を吸収・融合し、まるで別物ではないか?というものに昇華してしまう日本人の心性そのものに強い独自性を感じています。

弟子筋などの表現のつながりがありながら、全てを飲み込み、それを超えるような何かを生み出すことに長けている。私はそのような思いから、過去に学び新たなものを生み出すことに苦心しています。

少し詳しく書いてまいりますと、その考え方の柱は基本的に二本あります。

 

一つは室町以後に形成された狩野派や土佐派、時代下っての琳派や浮世絵などといった日本の絵画の諸流派の中で、現在まで弟子筋や表現の系譜が途絶えているなど、私自身が見てこれからの発展性を期待できる表現について学び、可能性を探るということ。

 

もう一つは、その各表現の研究を踏まえて、これからの日本や世界の未来を表現するに足る私なりの絵とは何か?ということを模索し続けること。そして、これらは常に交錯し密接に絡み合っています。それらを同時並行的に行っておりますので、制作中は私自身も混乱をきたします。

 

サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』ではないですが、日本人は非常に恵まれた文明に育ちました。

白か黒かではなく、様々な色が並立する状態から何かを生み出すことが出来る世界でもまれな文明に生まれ育ったのです。

その様々な並立する色の中から、いつか光る性質を備えた色を作り出せるのではないか?と私は常に考えながら制作をしています。

 


日本画について 2012/11/27

 

日本画を美術史家たちは明治に出来た新しい言葉と概念であり、江戸時代とは別物だといいます。

ですが実際の歴史というものは、それが進歩か後退かはわかりませんが、同時代的に繰り返す現代による絶え間ない変化と更新の作業です。美術史家は、「ある日、何年何月ここから時代が江戸時代から明治時代に変わりました!」と言いますが、それは便宜上必要なものであり、実際はそこに生きる人々の内面や意識の変化と更新作業が行われているにすぎません。第二次世界大戦後のように、ある日突然、全ての制度が変わることがあっても、人々は生活を営んでいるのです。

 

私には、それを実感したある二つの経験があります。

 一つ目は、第二次世界大戦前-戦中-戦後すぐ-を生きた画家の蔵書を整理するお手伝いをさせて頂いた時です。

私はそれまでその画家を美術の教科書に出てくるようなその方のお名前や作品でしか知りませんでした。

ですが実際に蔵書整理をお手伝いさせていただくと、本には書き込みや線引きがあり、変化する時代の中で、その画家は単なる美術史の名前や作品という記号ではなく、間違いなくその時代、その日々を生き、悩み、生活をしていたのです。美術史に出てくるような画家でも、人間は日々時代を、社会が様々に変化しようとも、一個人として生き抜きその中で制作を行っている。単なる記号ではない生身の人間だと実感した体験でした。

 

そしてもう一つは明治神宮外苑にある聖徳絵画館を訪れた時です。

昭和最初期に完成した明治神宮外苑にある聖徳絵画館には、その頃の日本画家、洋画家の大家の作品それぞれ40点、合わせて80点が納められています。そこへ作品を見に行くと、日本画は江戸時代にあった円山四条派や土佐派、狩野派、南画、浮世絵などから脈々と繋がったものがあり、日本画が諸流派の統合であるということが伺えます。(絵画館において琳派の系譜を感じる作家が僕に感じられなかったのは、当時の画系の隆盛によるところかと思います。)一人一人の日本画家の描法をつぶさに観察しても、江戸時代からの断絶を僕は全く感じませんでした。それぞれの日本画家には、江戸から続くそれぞれの絵画流派が色濃く透けて見えます。

 

江戸時代、幕藩体制の強い中、最初に日本と言う国家単位でものを思考したのは坂本龍馬だと評したのは司馬遼太郎でした。近代化の中で、日本という国が出来た中、日本画という日本の絵画流派の統合が行われました。そこには現在に至るまでに日本画としては廃れてしまった文人画などの表現もあります。

ただ…統合が行われていても初期の日本画家たちは、それぞれが育った絵画流派の系譜の影響が色濃く、一人の日本画家として本当の意味での統合には至っていません。

あれから100年以上経て、平成を生きる僕らはやっとそれらを俯瞰できる位置に立っています。

日本画は江戸期までの絵画流派の統合です。自国の文化がそうであったように、全てを飲み込み融合し新たな未来を創造する、日本人の心性を表したような絵画です。

 

私は日本画を美術史家のように制度の問題からではなく、描法の問題、制作問題から考え直したい。

それぞれの視点でそれぞれの思う日本の絵画流派の研究をしながら、私たちこそ、その特定の絵画流派に一つの作品において縛られることなく、本当の日本を体現するような日本画を創出することができると思うのです。

だからこそ私は今、日本について考え日本画を制作する意味があると思うのです。